top of page
敏満寺ふるさと通信
敏満寺には、かつて九世紀末から十世紀初頭の平安時代に建てられた寺院(天台密教寺院)があり、その名前であった「敏満寺」が現在の地区名として残ったと言い伝えられています。このお寺は、現在の胡宮神社付近を本堂とし、多賀サービスエリア付近までの敷地に40余りの塔堂が立ち並ぶほど大きな寺院で、同じ天台寺院である西明寺・金剛輪寺・百済寺といった湖東三山と並ぶ勢力を誇っていたようです。
平成9~12年の下り線サービスエリア改良工事に伴う発掘調査では、溝で区画された中に掘立柱建物、地下式倉庫などを配置した戦国時代の遺構などが検出されたことから、大寺院であった敏満寺を中心に、門前町的な空間がつくられていたことも判明しました(以下文献参照)。
私たちの知らない千数百年前のお話ですが、難しく考えず実際に存在した敏満寺の歴史・文化として、興味本位で受け入れてみられてはと思います。世代関係なく、自分の故郷への親しみや愛着が深まり、それが地域の交流や活性に繋がれば幸いです。


bottom of page