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​胡宮神社と敏満寺

 敏満寺の氏神である胡宮神社は、名神高速道路を見下ろす眺めの良い丘の上に立ち、寿福・延命に御利益があると伝えられています。この胡宮神社は、背後にそびえる青龍山(せいりゅうざん)が起源といわれ、祭神は多賀大社と同じ伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)であります。青龍山の頂上には、胡宮神社の奥宮である磐座(いわくら)があり、太古の昔から青龍山は信仰の地であったことが想像できます。 またこの一帯は、湖東三山と並ぶほどの寺院(敏満寺)が存在していましたが、戦国時代に兵火により焼失して廃寺となり、後に神社だけが再建されました。


 見どころは、境内銅製五輪塔(国の重要文化財)と、鎌倉時代末期作の社務所庭園です。金銅製五輪塔は、東大寺の堂宇再建に尽力した俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が東大寺の再建時に延寿を願って寄進したものです。庭園は池泉と築山の調和が絶妙で、サツキが咲き誇る春は、美しさを増し、国の名勝に指定されています。紅葉の名所としても知られ、紅葉の見頃は例年11月中旬〜下旬です(紅葉ライトアップ『神あかり』が行なわれます)。

 

l参考 http://www.taga-kankou.com/kakusyu/pdf/taga_sekai_konomiya.pdf

 

 

写真はこちら→

Q&A

Q1)胡宮神社はどこにありますか?

A1)敏満寺地区の青龍山の山麓、名神多賀サービスエリアの近くにあります。国道307号沿いです。

Q2)ご祭神は?

A2)天照大神(アマテラスオオミカミ)のご両親の伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)、イザナギの子とされる事勝国勝長狭命(コトカツクニカツナガサノミコト)です。

 

Q3)胡宮神社はいつ創建されたのですか?

A3)古代人は日が昇る山を信仰していました。青龍山の峰には磐座と呼ばれる巨石があり、その信仰が胡宮神社の起源と言われています。時代が下ると山の麓に拝殿が作られますが、創建時期は不明です。平安時代の女性歌人の赤染衛門(956?-1041年)の願文があることから、それ以前と思われます。敏満寺というお寺の守護神として祀られて来ました。

 

Q4)なぜ敏満寺というお寺の中に胡宮神社があったのですか?

A4)仏教はインドから中国に渡り日本に伝来しました。神道は日本の古代から続く宗教です。本来別々のものでしたが、日本人は両者を融合して信じました。仏が日本で生まれ変わったのが神としたのです。神仏習合と言い八幡神は阿弥陀如来、伊勢大神は大日如来の日本での姿とされました。明治維新に伴う廃仏毀釈までは神社とお寺が同じ敷地にあるのは当たり前でした。なお江戸時代、胡宮神社は敏満寺の一院の福寿院の下にありました。多賀大社の中の仏堂は今は残っていませんが、胡宮神社には大日堂、観音堂が今でも残っています。

これは全国的にも珍しいです。また室町時代末期から江戸時代初期にかけて作庭された福寿院の庭園が残り、江戸中期の神撰所や社務所も残っております。

 

Q5)敏満寺が戦国時代焼けた後、胡宮神社はどのように復活したのですか?

A5)豊臣秀吉時代に再建され、江戸幕府三代目将軍、徳川家光により本殿が造営されました。本殿の屋根には徳川家の三つ葉葵の紋があり、担当したのは日光東照宮も手掛けた甲良大工であります。下のボタンより写真をご覧ください。

Q6)胡宮神社の中にある「大日堂と観音堂」とは、どのようなものですか?

A6)胡宮神社の境内には大日堂と観音堂という二つの仏教のお堂があります。これは昔、神社と寺院が神仏習合で一体化していた歴史を​物語っております。詳細は、下のボタンよりご覧ください。

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