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敏満寺、春の大祭の豆知識

 

  • 胡宮神社の氏子は敏満寺、尼子、四屋、多賀に分布していた。敏満寺地区と外に出た人から構成されていた。

  • 神輿の蔵の鍵は多賀の氏子が管理し、4月の大祭には多賀からも氏子が来ていた。

  • 氏子総代は名家がもちきりで勤めていたが、名家の方が亡くなってからは選挙で決めている。

  • 敏満寺跡を胡宮神社から多賀の四屋に縦断する道があった。裏参道と呼ばれ、別名ミコシ道と言った。ちなみに表参道は高宮から粕地蔵(今のキリンビール工場付近)と飯盛木を経る。飯盛木は多賀大社方面との分岐点にあたる。

  • 春の大祭は4月20日と4月21日。

  • 4月20日が宵宮。行列と神輿は胡宮神社→大門池の御旅所→一本杉の御旅所→仮屋御旅所と移動し、仮屋御旅所で一泊。

  • 行列の神役は出発の時に名前を呼ばれたら、「おー」と答える。「はい」とは言わない。

  • 大門の御旅所は非常に背の高いおばけ灯籠が立っていた。灯籠は現在は道を挟んだ向こう側に移動し、下部が失われて低くなった。胡宮神社の参道の目印となっていた。

  • 大門の御旅所から一本杉の御旅所までは神輿を担いだまま素掘りの川の中を歩いた。川がコンクリートで護岸されてから、危ないので道を歩くようになった。

  • 一本杉の御旅所には昔鳥居があり、トリイガシタと呼ばれていた。

  • 仮屋の御旅所から一本杉の御旅所に、各小路の組長が提灯を持ってお迎えに行く。

  • 大門の御旅所、一本杉の御旅所、仮屋の御旅所で、それぞれ祝詞の儀式を行う。

 

  • 4月21日の本祭は仮屋御旅所から胡宮神社へ。昔は胡宮神社から寺屋敷の碑に向かい、そこで一服。この後、鳳輦(ほうれん)は胡宮神社に戻り、神輿は裏参道を経由して多賀社へ。多賀社では神主らが迎え、祝詞。その後、胡宮神社に帰った。

  • 現在は多賀大社に役員の方が行くだけ。

  • 高宮池の北側に多賀大社、胡宮神社の神輿蔵があった。

 

  • 多賀社から胡宮神社に神輿が来ることはなかった。

 

  • 胡宮神社と多賀社は仲が良くなかったが、祭礼の時は別だった。胡宮神社の儀式が終わらないと多賀社の祭礼はできなかった。

 

  • 昔は地区を上(かみ)と下(しも)に分け、神輿を宵宮に担ぐ番と本祭に担ぐ番を交互に行なっていた。

 

  • 神輿担ぎは鎮護体が行なっていた。

 

  • 昔は胡宮神社を桜宮と言っていた。「桜町」の地名が残っている。

 

  • 祭礼の時に神輿とは別に大太鼓が神社へ行く。車が通れる道を使った。

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